バイク達の思い出 第1回「カブ RS50 NS-1 DREAM50」
このシリーズでは管理人が今までに乗ったことのあるバイク達を振り返っていきたいと思う。何事もはじめが肝心、第一回は甘く切ない原チャリ時代である。
01. カブ50 新聞配達仕様 (2006年3月から4年間)
詳しいインプレ記事はカブのページへ。
新聞奨学生として新聞を毎日配っていた頃に乗り回していた世界で最も偉大なバイク。
左上の写真は朝刊時のもので、ただでさえフニャいカブのフレームに新聞を200部以上積むためありえない挙動をする。具体的に言うと、ハンドルが超重くて超切れ込む、寝かすと重くて重心が高いため倒れそうになる。その頃400ccに乗っていた弟に一度乗らせたことがあったが、あり得ない重さで20cmくらいしか進めなかった。新聞配達のオジサンは偉いのだ!
普通の人はハンドルを両腕で必死に押して切れ込みを押さえるが、私は嫌だったので前カゴは少なめにして後ろに多く積み、後輪重視で曲がれるようにしていた。調子に乗って振り回すと背中の新聞がズレて雪崩になるという致命的な仕様だが、繊細かつ大胆な運転を楽しんでいた。
このバイクでの転倒は数知れず。寝かしすぎてセンタースタンドを擦って吹っ飛んだり、満載時に勢い良くフルバンクからフルバンクへ切り替えしたらお釣りでハイサイドしたり、路面凍結で前輪から転んだり…。
それ以外の5枚は、インジェクションを搭載したFIカブが自分に納車された時に大はしゃぎしながら撮った写真。新車を所有するのは(お店のだったが)後にも先にもこれが最初で最後であろう。
最初はキャブと違った繊細なインジェクションのスロットルのためスランプにハマり、本気で「FIなんてクソ! キャブこそ至高!」と思っていたが、1000km走った頃には慣れて近場の二輪安全運転講習会に持ち込み、回しすぎて調子をおかしくした。新車もらって1000kmなのにもったいない…でもこの程度では当然壊れはしなかった。
しかし今のカブは知らないが、FI化して初めてのモデルのこのカブはアイドリング中にエンストが頻発し、停車の多さから止まりまくりキックで足が痛くなったほどだった。キャブ車と違ってアイドルスクリューがないのだ。
カブのこのスタイリングは奨学生時代から未だに好き…見とれるような造形美♪ カブカッコイイよ。
02. ポケバイの何か (2006年5月)
新聞奨学生時代に実家に帰った時に弟が遊んでいたポケバイ。当時ヘタでカブしか知らない上にアクセルは常時全開にするものだと当然のように思っていた私はバイクから振り落とされ、ポケバイは大破した。
壊して申し訳ないと思い再購入費として1万円を渡したところ、ポケバイが再び姿を現すことはなかった。俺の1万ドコイッタ
03. aprilia RS50 前期MMA型 (2007年4月から1年間ちょい)
詳しいインプレ記事はRS50のページへ。ここでは好きなことを書くとする。
今は無きマイスターファクトリーというスゴイお店から買った超カッコイイバイク(原付)。
カブ50しかバイクを知らない時に弟のBandit250を見て超興奮してしまい、GooBikeの雑誌の4cmくらいのちっこい写真を見て電話をし、現物を見ずに振り込んで購入してしまったという凄まじい経緯を持つ。確か総額24万くらいだったかな? 無知って怖いね!
届いたのは前後タイヤ超カチカチ、フロントフォークオイルダダ漏れ、グリップが左右で違うというトンデモバイクで、納車時もカブしか乗ったことない初心者に2stオイルの説明をしないまま引き渡すというあるまじき対応だったのである。もし知人に「2ストオイル入れてるかー」って言われなかったら…。
でも外装はキレイであり得ないくらいカッコイイ! よほどバイクを知ってる人じゃないとコレ原付と思わない。ベタ惚れ状態だった。
しかしそんな状態なので、何度も追突しそうになったり、雨の中の山道で死にそうになったりと色々なことが今は笑い話。
04. HONDA DREAM50 (2007年5月)
同じ新聞配達店の仲のいい社員が買ったバイク。知る人ぞ知る、ホンダの偉大さを讃えたくなる原付。カッコイイ!
RS50と乗り比べると、低速トルクはホント凄くて、回してもかなり速いバイクだった。RS50は低速トルクがないので、頑張って回さないと勝てない。最高速ではRS50のが上。
「お金がない…」と言って近所のバイク屋に8万で売ってしまい、その後は目を疑うような価格で売られていたようである。
05. HONDA NS-1 (2007年8月)
弟が近所までこれで遊びに来て少しだけ乗ってみた。フロントブレーキがエアを噛みまくってた記憶がある。RS50よりは当然軽くて気楽だった。高級感やカッコよさについてはRS50と比べるまでもない。
ヘルメットを見て分かる通り、弟はこの頃から走り屋だった。私はその当時「カブ以外では」安全運転していたので攻めたりはしなかった…が、その後、走り屋の世界へ誘われることとなる。